子どもを産んでよかったことのひとつに
母への視点が変わったことがありました。
*
自宅で、夫とプチ喧嘩になったときのこと。
その日は、夫がお風呂に入れてくれて
とても助かった反面、
今までお風呂上りに必ずぎゃん泣きしていた子が
その日は全然泣かず、スムーズに寝かしつけに移行できました。
助かるなぁと思った反面、
(でも、いつもはもっと大変なんだけどな。
いつもこんなすんなりいくって思われてたら嫌だな・・・)
という気持ちがむくむくと。
だから、素直に「ありがとう」と言えずに
「いつも早く帰ってきてくれればいいのになぁ」と言ってしまいました。
この”言い方”が夫はとてもいやだったようで
「わざと遅く帰ってきているわけではないし、不満をぶつけられているみたいで不快だ」と不機嫌に。
私としては、そんなつもり(不満をぶつけている)は全くなかったんですが
「そんなつもりじゃないよ」と言っても、平行線。
ついに私が上に書いた気持ちををそのまま伝えてみたら
「だったら最初からそう言ってよー」と言われて
私もやっと「ごめんね」と謝って、その喧嘩は終わりました。
*
そして、別の日。
実家で両親と弟と話をしていた時
母の一言が、すごく気に障って
馬鹿にされているみたいで嫌な気持ちになりました。
今までだったら、ふてくされて
馬鹿にされた(と思った)ことを自分の中に受け入れるか、
なんでそんなこと言うの!傷ついた!謝って!!って大騒ぎするか(迷惑w)だったんですが
その時は
「そういう言い方をされて、馬鹿にされたみたいで、嫌な気持ちになった」
と、ただ言ってみました。
すると母は
「え?なんで?」と本当にわからないようでした。
つまり、馬鹿にする気はみじんもなくて
馬鹿にされたと思ったのは、私の受け止め方。
でも、言い方は嫌だったので
嫌だったことが伝わったらすっきりしました。
数日前の夫とのやり取りを
立場を変えて同じことをやっていたなぁと
振り返って気づきました。
**
そして、それと共に、
今まで母はきっと私にこう思っているはず。と思っていたことは
たぶんほとんど自分が勝手にそう思っていただけ、ということに気づき
母は完璧な人なんかではないから
不用意な発言もするし
母親なら、娘の気持ちわかるでしょ
って思っていたけど、それはわかんないよね、
と目が覚めたような気持ちになりました。笑
だって、私も子どもの気持ちわからないもん。笑
一緒に過ごしている時間が多いから
気持ちの予測が当たりやすいかもしれないし
たぶん、一番分かりたいと思っているかもしれないけど
それでも、別の人間。
言わないと一生伝わらない。
聞いてみないとわからない。
今まで見ていた娘の視点とは
別の視点で母を見られるようになり
くっつきすぎていた気持ちを分離させることができるようになりました。
今までは
どこかずっとずっと母へ向けていた視線に力が入っていたけれど
力が抜けてゆるんで優しくなれたような気がします。
いい意味で母の抜けているところや
私の理想やこうであってほしい姿とは異なる部分を許せるようになって
とってもとっても楽になりました。
そして、それでもやっぱり
母が私の母でよかったなぁと改めて思うのです。
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